デンタルダイヤモンド誌  1997年5月号 掲載
        
「共育のススメ」

 私には今春高校生になる娘を筆頭に三人の子供がいる。子供を育てていて近ご
ろ感じる事を書いてみる。
 初めての出産のとき、前日のお昼休みに家内を産婦人科に連れて行き、産れそうな
のでそのまま入院ということになった。土曜日の朝、病院に立ちよるとそのまま仕事
をする気になれず午前の診療をキャンセルしてしまった。
 分娩室をのぞいてみる。これからここで新しい生命が産声を上げようとしている。
 テレビや映画で見たことのある、分娩室の前を行ったり来たりする夫そのものをやっ
ていた。日頃から我慢強い妻が悲鳴ともとれる微かな声がドア越しに聞こえる。その
たびに私の胸の高まりはどんどん増幅していき、元気な産声と皺くちゃの我が子に対
面した時には感動は最高張に達していた。もうかれこれ16年前のことであるが、克
明に思い出す事ができる。かくして私の子育てが始まった。
 そのころの私の楽しみは子供と入浴する事だ。乳をのむしぐさも笑うこともかわい
いが当時もっとも感動したのは入浴中に水道の水を私の手から直接飲むしぐさであっ
た。手に伝わる小さなくちびるの動き、あたたかさと子供の信頼しきった様子はこの
うえない幸福感と充実感、そして責任感を充分に与えてくれた。
 私たち家族は当時、大きな公園の前のマンションに住んでいたので、家内は毎日、
雨が降ろうが雪が降ろうが、その公園に子供を連れて行っていた。 砂場で遊ぶ、ボー
ルを蹴る、肩車をする、自転車に乗る、すべてのしぐさが私には光ってみえた。
 最近読んだ本のなかで「子供に親孝行を求めるのは論外だ、子供が小学生ぐらいま
でに見せてくれたこのような行為だけで親は幸福感にしたれ、それだけで充分親孝行
をしている」というくだりがあって、あらためてうなずけるのだ。
 今から7年も前のこと、娘が小学校3年生息子が1年生、下の息子が3才の時の
話だが、子供たちを弟家族の家に泊まりにあずけ、そこから電車で帰す事になった。
 JR横須賀線の東戸塚から東京駅までは乗り変えもないし、50分もすれば着いてし
まうので、東戸塚で電車にのせてもらって家内が東京駅まで迎えに行くことにした。
3人にしてみればちょっとした冒険かもしれないが、あとで子供に話を聞くと、こう
であった。
 いとこの家で遊びつかれた子供たちは東戸塚を出て横浜につく頃にはもうすでに眠く
なっていた。3才の息子はいねむりをはじめ1年生の息子も眠い目をこすり始める。
3年生の娘は自分は寝むってはいけないと必死に堪えた。子供三人だけの乗客はめず
らしく、周囲の大人の目は気になるし本当は泣きたいほど心配だった。
 品川駅を過ぎる頃、中年の赤い顔をしたお酒臭いおじさんがちょっかいを出して来た。
「きみたちどこへ行くの?おじさんと一緒に行こうよ」といって一年生の息子に声をかけた。
 ちょっとまちがえれば誘拐事件である。助けを求めるにも恐怖感から声が出ない。
 世の中には恐い人間がいるもんだと思った。電車が新橋につく時、近くで一部始終を見
ていた大人たちの中から一人の青年が「やめなさい、子供たちがかわいそうじゃないか!」
とその中年の酔っぱらいを止めに入ってくれた。そして東京駅に無事に着いたという
わけである。
子供たちはホームで待つ母を見つけると安堵の為かその青年に礼もいえ
ずに母のもとに駆けよったそうだ。子供たちが将来、酒に酔って子供に悪さをするよ
うな人間にならないと感じ、また、世の中には自分たちを救ってくれた人達もいる、
 願わくはその声を掛けてくれた青年の勇気を持ってくれればと思う。
 子育てをしているといくつもの感動を体験する。最近は子供たちもだいぶ大きくな
り、自分が通って来た道筋を子供の行動を観察しながら反芻しているような気持ちで
いる。
という訳で子供を教育するというよりも、子供との「共育」をおすすめする。
                              1997年3月